2011.8.9
林光・東混 八月のまつり32
報告:齋藤健治/月島在住・編集者/1階16列32番
投稿日:2011.08.9
天から降り注ぐサウンドの中に「ray of hope=希望の光」を探す
林光・東京混声合唱団によるコンサートは、トリトン・アーツ・ネットワーク共催として、例年夏に第一生命ホールで開かれている。
開演10分前に席につくと、多数の観客が次から次へとホールに足を運んでくるのを目にする。1階席は8割、いや、9割というところまで客席が埋まった。
プログラムの最初は《原爆小景》。
第2楽章〈日ノ暮レチカク〉の音の響きに驚く。
天から厚みをもったwall of soundが、夏のスコールのような勢いで全身を激しく襲う。なんだ! この肌触りは!
* * *
からみあった無数のサウンドが一つになって天から降り注ぎ、全身が包み込まれる感触。
オーケストラでも同じような気持ちにさせられることがあるが、その場合はステージから音が直線的にやって来て体を覆う。
《原爆小景》をこの場所で聴くのは本日で2回目なのだが、ホールの音の響きも変わってきたのだろうか。
それを確認するために、2003年に書いたモニター原稿を再掲する。
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「《原爆小景》は、このホールの硬質な音響で情緒過多に陥ることなく、東京混声合唱団が歌う日本語の響きに聴き入った。8月に、広島の原爆をテーマにした曲を聴く。残響だらけのホールならば、まず感傷が先走ってくるところだが、聞こえてくるのは確かなラインを描いた音と言葉。やわなサウンドじゃ、音楽家のメッセージは曇ってしようがない。そして、日本の歴史を確かに形作っている、58年前に亡くなった、声を遺そうとしても遺しえなかった人々の闇も。」
* * *
本日の演奏も「やわなサウンド」じゃあない。しかし2003年時点でのホールの響きはとても硬かったのだろう。8年を経て同じアーティスト・曲に接するのはとても貴重な経験だった。これこそライブの醍醐味である。
そして66年前に亡くなった方々への祈りのためにも。
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プログラム2曲目は〈とこしへの川―混声合唱、ヴァイオリン、ピアノのための―〉。ヴァイオリンは山田百子さん、ピアノは寺嶋陸也さん。
第1楽章。深い森を静かに歩み進めていくかのような演奏。第2楽章は快活となるが、後半にさしかかったところで突然のピアノのシングルトーンがその様相を一変させる。以後、ヴァイオリンと混声合唱が寄り添いながら溶け合う。第3楽章は静謐から躍動へと進む世界。コーラスの最後は明るい長調で締める。
ここで一筋の「ray of hope」を感じる。
かすかな希望の光。
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コンサートは進む。次は「混声合唱のための日本抒情歌曲集 より」。
ここで取り上げられたのは3曲。ピアノの寺嶋さんも登場。
「ゴンドラの唄」「早春賦」「死んだ男の残したものは」。
1曲目の「ゴンドラの唄」は雨上がりの夜空のような世界。「早春賦」のアレンジはピアノコンチェルトのよう。コーラスがあたかもオケの役割を果たし、寺嶋さんがクローズアップされる。「声は最高の楽器」という人口に膾炙した言葉があるが、人の声を楽器に見立ててバッキングに努めさせ、ピアノを主役とする。異論があるかもしれないが、そのような合唱の楽しみ方があるのかと感じた(考えてみれば、wall of soundにおけるバックコーラスは、まさに一つの楽器として音に厚みを加えさせるものではないだろうか)。
武満徹「死んだ男の残したものは」は沈んだタッチから始まり、合唱は徐々にあらん限りのフォルティッシモへと高まっていく。
ピアノパートにはブルーノートも配され、ジャズというか黒人霊歌を聴いているように思えて仕方なかった。
一筋の光明を見いだそうとする「ray of hope」。
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本日最後のプログラムは《黒い雨―混声合唱のための―》。
ボーカリーズの妙を堪能する。
第1楽章〈次は火ダ〉は前世紀中期にN.Yの街角で歌われていたドゥー・ワップのように心を揺さぶる。
第2楽章〈ユー〉、こみあげるような怒りを心に携え、「ray of hope」を信じるかのごとく冷静にハーモニーを奏でる演奏。
それが第3楽章〈パトリス〉でステージが弾ける!
朝日を受けた無数の鳥が一斉にざわめくように。暗い地面で長い月日を送ってきた蝉が夏の一瞬つんざくような鳴き声を上げるように。そして、祝祭の日を願ってきた人々が集まってき、その喜びを一斉に雄叫びあげるかのような喧騒。
ray of hope。希望の光。
ホールの天から、地から、側面から差す「ray of hope」。
いかに鋼鉄の巨人が冬を呼ぶ老人を目覚めさせ、キャタピラの音を轟かせ、2000トンの雨を降らせ、その雨は指のすきまを伝って落ち、個々の想い一つ伝えられないかもしれないけれど、私たちの国には林光さんがいらっしゃる。きっと、光を輝せつづける。
ray of hope。
公演に関する情報
共催公演 TAN’s Amici Concert
林光・東混 八月のまつり32
日時:8月9日(火)19:00 開演
出演:林光(指揮) 東京混声合唱団(合唱) 山田百子(ヴァイオリン) 寺嶋陸也(ピアノ) 古賀満平(照明)
林光・東混 八月のまつり32
報告:井出春夫/会社員/2階L1列46
投稿日:2011.08.9
「黒い歌」は、また機会があれば聞いてみたい曲である。
毎年、気になってはいるが、いざ行こうとすると気が重く、仕事なんかで行けないと残念と思いながらどこかでほっとしている自分がいる。私にとって「林光・東混 八月のまつり」はそんなコンサートである。今年は、夏休み中でまだ休みもあったので行くことにした。
演奏に先だって林光さんの挨拶があり、最初の曲「原爆小景」。とても難しい曲のように思うのだが、さすが東混のみなさん、実に上手く聞かせてくださる。声量もあるし、ハーモニーもきれい。それに何だか今年の演奏は1曲、1曲がすっきりしていてとても聞きやすい。私が以前聞いた演奏からすれば、今年は落ち着いて聞けた。とてもいい合唱を聞けたと思う反面、リアリティが薄い。今までは、曲が始まるとまもなく地獄絵のような光景が目の前に現れ、「もう勘弁してくれ」と思い、ホールから逃げ出したいと何回も思いながら曲を終えていた。私としては、聞くのはつらいけど、今まで聞いた「原爆小景」が好き。いずれにしても、この曲はすごい曲だ。
休憩後、「とこしへの川」ピアノ、合唱にヴァイオリンソロというなかなか面白い組み合せであり、とても素敵な演奏であった。
「日本抒情歌曲集」では、肩の力が抜けて、のびのびとした感じがとてもいいし、ピアノ伴奏もきれいだった。「早春賦」では伴奏にモーツァルトまで登場したり、指揮者の林光さんが、指揮台を降りてピアニストの寺嶋さんの所に行ったり色々動きがあって視覚的にも面白かった。ちなみにここで歌われた曲は「ゴンドラの唄」「早春賦」「死んだ男の残したものは」であった。
「黒い歌」は、また機会があれば聞いてみたい曲である。
そして、アンコールの「星めぐりの歌」(宮沢賢治作曲、林光編曲)は毎年お決まりのアンコール曲であるが、今年は「絶品」といいたくなるほど素晴らしい演奏であった。こんな「星めぐりの歌」は滅多に聞けないのではないかと思いながら家路についた。
公演に関する情報
共催公演 TAN’s Amici Concert
林光・東混 八月のまつり32
日時:8月9日(火)19:00 開演
出演:林光(指揮) 東京混声合唱団(合唱) 山田百子(ヴァイオリン) 寺嶋陸也(ピアノ) 古賀満平(照明)
林光・東混 八月のまつり32
報告:M.K/葛飾区在住・司書
投稿日:2011.08.9
8月9日、生まれて初めて合唱のコンサートを聴いた
長崎に原爆が落とされた日に近い八月の上旬に毎年開催されているというコンサート。どんなメッセージがこめられているのだろうか。少し構えて席に着いた。
初めの「原爆小景」では、『水ヲ下サイ』の言葉がたくさんの声でどんどん重なっていき、ひとしずくの水が水の輪となって広がっていく様子や、川、湖、深い河、いくつもの水のある情景が目に浮かんできた。また、曲が進むのに合わせての空襲警報の音や飛行機から落とされる爆弾と思われる音が聞こえ、あちらこちらで叫んでいる人々の顔が見える...気がした。
言葉が声になり、音になり体中にしっかりと響いてくる、そしてそのイメージが見える。歌を聴いてこんな経験をするとは。人の声の力に圧倒された。
休憩を挟み、ピアノとヴァイオリンが加わり、「とこしへの川」。椅子に深く腰掛けじっくりと聴いた。
次のステージ、「ゴンドラの唄」、「早春賦」で会場は一気に明るい雰囲気に。照明のせいだけではない、ホール全体に♪や❤が飛んでいるのでは?と思えるぐらいの華やいだ空間の中で、私も体がゆれていた。
「死んだ男の残したものは」では率直に歌詞が心の中に入ってきて、人生ってこんな感じに終わるのだろうなと妙に納得してしまった。
最後の「黒い歌」は、普通で言う歌詞がなく言葉が重なり繰り返されているような曲だった。
今まで食わず嫌いだった(スミマセン)合唱。人の声って色んな表現ができるんだ。こんなに心に響いてくるものなんだ。林光氏の曲をもっと聴いてみたい。と思いながら帰り道では聞いたことのある「ゴンドラの唄」を口ずさんでいた。重い曲が多かったが楽しいひとときを過ごすことができた。音楽に感謝!
公演に関する情報
共催公演 TAN’s Amici Concert
林光・東混 八月のまつり32
日時:8月9日(火)19:00 開演
出演:林光(指揮) 東京混声合唱団(合唱) 山田百子(ヴァイオリン) 寺嶋陸也(ピアノ) 古賀満平(照明)