[聞き手/文:渡辺和(音楽ジャーナリスト)]
コロナ禍を挟み結成30年を迎えた今、ヘンシェル・クァルテットの皆さんはどのような活動をなさっているのでしょうか。
モニカ:若い枝はあらゆる嵐に耐え切れるわけではありません。ですが年を経ていけば、大地に根を張り、安定して、多くの事柄に対応できるようになります。それが人としての広がりです。今、私たちヘンシェル・クァルテットはとても安定し、古木ではないですけど(笑)、成熟し、安定した人間的な広がりを持ち、多くのことを引き受けられるようになっています。他の皆さんもそうでしょうが、長くやっている団体はいろいろなことをするようになります。自分のフェスティバルがありますし、今もステージから世界に音楽を提供しています。弦楽四重奏にとどまらず文化全般に関わり、沢山のアンバサダー仕事もあります。フレキシブルにどこにでも行けますから、弦楽四重奏は文化アンバサダーとして最強なのです。ですから、とっても忙しくなってしまうのも仕方ないんですけど(笑)。
トリトン・アーツ・ネットワークは教育プログラムや子ども向けコンサートに取り組んでいます。皆さんもそのような活動は沢山なさっていますね。
モニカ:教育プログラムにも参加しております。音楽教育ではなく、社会教育です。とても若い頃から学校での演奏などを行ってきました。ドイツでも沢山やっていますし、日本でも学校や病院、小児科病棟にも行きましたね。ロサンジェルスで演奏するときはいつも、午前中に学校に行き、夜にコンサートですよ。
長い経験から言って、子どもたちの心に大事なのは、個人的な繋がりを直接感じられることなのです。クァルテットはオーケストラのようなサウンドを持っていながら、個人的な繋がりを感じられます。例えば、チェロを弾いているのはマティアスだ、とわかります。いろいろなプログラムを弾きますよ。面白いのは、子どもたちは現代の音楽が好きなこと。対比のハッキリしたものが好きなんです。《クロイツェル・ソナタ》のような犯罪を描いたものとか(笑)。でも、それが現代音楽だとか、犯罪を描いているかとかは、それほど重要ではないのです。子どもは最良の聴衆ですよ。
子どもたちと個人的に繋がりを感じるには、音楽的なことだけでなくてもかまいません。大事なのは、そこにいて、信じて貰える、ということです。なかには、私たちと話がしたくてしょうがなくなる子もいます。最初はシャイでなにも言わなくても、最後には質問があるという。音楽のことではなく、「また来てくれますか?」とか(笑)。それが個人的な信頼関係なのです。そうやってその子どもと関われることには、意味があると考えています。同じ人が何度も何度も行き、友達や家族のような関係が出来ていく。それで、色々な面を見せてくれるようになる。それがとても個人的な経験となっていく。
子どもだけではありません。文化から遠くにいる人々とも関わろうとしています。私たちは音楽家の健康を考えたプログラムもしていますが、それは社会の健康のためにもなるだろうと考えています。室内楽は、そういうことが出来る広がりを持っているのです。
今回晴海の第一生命ホールで披露してくださるのは、ドイツのメインストリーム作品ですね。
モニカ:今回は30周年記念ツアーですから、私たちの経歴を振り返ることにしました。私たちのキャリアは、ドイツの古典派ロマン派のレパートリーを基礎に発展してきました。例えば、私たちは30年前にオールドバラ音楽祭でベートーヴェンを演奏し、それをBBCプロムスの誰かが聴き、私たちをBBCで取り上げてくれた。翌年にはメンデルスゾーン全曲を録音した。
私たちのキャリアは、そのように発展してきました。これらの曲は、私たちを育ててくれた核となるレパートリーなのです。サウンドや作品の理解など、ベートーヴェン、メンデルスゾーン、シューベルトを学ぶことで身に付けてきました。これらの教育なしに、今のような納得いくやり方を見出すことはなかったでしょう。
今回の演目は、一見したところ狭い時代の作品に限られているように思えるかもしれません。ですが、音楽が出来ることを360度の視野で見通したプログラムなのです。
シューベルトの《ロザムンデ》は、魂の内面。優しさと苦難を行き来するような音楽。現代とシューベルトの時代に感じられていたものは、違っていません。
メンデルスゾーンは全く異なる音楽です。メンデルスゾーンの音楽、特にこのニ長調作品は、透明さです。時の流れを自在に使うような。感覚的にも感情的にも、全く違った自己理解の中にあります。
そしてベートーヴェンです。これまた全く違う。ベートーヴェンにある全ては、熟達した人間精神。《ラズモフスキー》第3番は、フーガで終わります。友人で弦楽四重奏リーグの同僚でもあるティム・フォーグラー(フォーグラー弦楽四重奏団)は、「このフーガこそがラズモフスキー・セットの最後の楽章なのだ」と言いました。正しくその通りだと思いますね。ベートーヴェン当時の人々は、作品59の最初の2曲はとても理解が難しい未来の音楽だと感じていた。そこにこの、旋律らしい旋律を持たない、これで全部オシマイ、という楽章が来る。東京での演奏会を締め括るに相応しい音楽だと思います。
ヘンシェル・クァルテットは日本との関わりも長いですね。
モニカ:創設30年ですが、日本での弦楽四重奏活動は、もうそれ以上の時間が経っています。日本は友人であり仲間であり、それ以上のもの、ファミリーです。パンデミックの頃も、関係が途切れた感じはありませんでした。やっと戻ってこられます。実は、私は春にも息子に会いに日本に行ったんですよ。息子は産まれたときから日本に親しんでいて、上智大学に留学して勉強していたんです。
最後に、第一生命ホールの聴衆にひとこと。
モニカ:最初の音が出る前になにが起きているかは、とても大事です。私たちがステージに出て行く前に、人々との関係が出来ていると感じられるかどうか。第一生命ホールでは、直ぐに客席との関係が出来たと感じました。私たちは繋がっているんです。