2018~21年にベートーヴェンの交響曲全曲演奏を完遂した「トリトン晴れた海のオーケストラ」が再びベートーヴェン・ツィクルスに取り組んでいる。前回は《第九》以外を2曲ずつ組み合わせて全5回での全曲ツィクルスだったが、“2周目”は交響曲1曲と他の作品を組み合わせたプログラミング。2024年9月28日(土)の「ツィクルスIII」では交響曲第4番とピアノ協奏曲第5番《皇帝》を、2025年1月18日(土)の「ツィクルスIV」では交響曲第3番《英雄》他を演奏する。これまでの「晴れオケ」全公演に出演してきたヴァイオリンの渡邉ゆづきに2度目のツィクルスの手応えを聞いた。トップサイドを務める、コンサートマスター矢部達哉の信頼する“相方”だ。
[聞き手・文:宮本明(音楽ライター)]
2回目の全曲ツィクルス
昨秋スタートした2回目の全曲ツィクルス。前回との違いを感じる部分はありましたか。
渡邉:リハーサルの進み具合が全然違いますね。前回、密な時間を一緒に過ごしてツィクルスを作り上げた体験と達成感から、われわれはこういう音楽を作っていきたいという「晴れオケ」の共通語みたいなものを、みんなが身体で、呼吸でわかっているんですね。矢部さんが大きく合図しなくても、音楽があ・うんの呼吸で織り重なり進んでいく。探り合いがない状態なので、とても濃厚なリハーサルが短い時間で進みました。
コロナ禍でみんないろんな思いで音楽と対峙した時期を経て、人生観も変わりました。音楽の流れも変わって当然だし、たぶんお客様も聴き方が変わったのではないかと思います。音楽はそうやって何千回、何万回と同じ曲を楽しめる。それはすごく楽しい世界だなと毎回思います。だから愛されるのでしょうね。
前回、矢部さんはテーマとして、「リミッターを外して」ということを、よくおっしゃっていました。普段の大編成のオーケストラだと、個人を出しすぎると全体的な響きとして何かが崩れていってしまう、制限というか枠のような一線があるんですね。でも「晴れオケ」は、最初からその段階を乗り越えているメンバーばかりなので、そんなリミッターは全部取っ払って弾きましょうと。
そこは前回やり切って、もう共有できている認識なので、今度はそれをどう発展させていくかですね。新しい発見だったり、より深い解釈を、一人ひとりがどう表現するか。そうやって自発的に出てくるものをすごく大切にしています。みんながそれを自分の音で表現してくるので、聴きながらお互いに「あ、それいいね。じゃあ私も!」という感じで乗っかっていったり。その自由度も、矢部さんが今回すごく大事にされている印象です。
指揮者なしの演奏
指揮者なしの演奏は晴れオケの特色のひとつですが、戸惑いはありませんでしたか。
渡邉:まったくありませんでした。指揮者のみなさん、ごめんなさい(笑)。もちろん指揮があったほうがうまくいくこともたくさんあります。とくに大きな編成の場合はそうですね。でも、オーケストラの演奏は奏者にまかされている部分もあって、指揮者は、そこまで全員にいちいち指示は出せないんです。感情を表現しようとして拍を見せないこともありますしね。なので、ここ!というところは指揮で合わせますが、あとのアンサンブルは、オーケストラの中で、各々が室内楽的に聴き合いながら合わせているんですね。
「晴れオケ」では、一人ひとりに絶対に妥協がありません。我を張るような人はいないんですけど、別のアイディアがあるときには、ちゃんと音で主張がきます。すると矢部さんがそれに気づいて、「どうしようか?」と話し合う。大きな編成で指揮者がいたら、それは指揮者が統一しますよね。そこが違うところです。だからお互いにすごくよく聴き合う。「これはどうですか?」「なるほど、そうですね」と、テレパシーみたいに感じて、音で会話しながら肌感覚で作っていく感じです。
もちろん指揮の役割はテンポやタイミングだけではありません。自分が気づいていなかった音楽の深さだったり解釈だったりを指揮者から感じ取ることは、オーケストラ奏者にとってかけがえのない体験なんですね。「晴れオケ」はそれを、お互いの音楽人生で培ってきた解釈から感じ取ります。言葉ではなく、音色ひとつで。小編成なので一人ひとりの音がよく聴こえてきますから、この人はどれだけやさしい風景を見てきたんだろうとか、そういうのをちょっとしたフレーズで感じるわけです。指揮者を介さずに、互いがダイレクトに会話しているような感覚なので、普段とは耳の使い方がだいぶ違うかもしれません。
もっと言えば合図を目で見ることは補足的な情報でしかなく、イメージを共有し、息づかいを感じ、一人ひとりがすごくいろんなアンテナを張っています。
もはやアイ・コンタクトにすら頼らないのですね。
渡邉:もちろん目でも見ているのですが、「晴れオケ」の場合は「聴く」「感じる」のほうが主ですね。コントラバスの池松宏さんが面白いことをおっしゃっています。首席奏者の合図をいくら見ても、視覚に頼っていると揃わないんだよと。だから俺を見るな。なんだったら目をつぶれ、と。そして音楽の流れを聴いて感じろ、と。実際に目をつぶって試してみたら、ほんとだ!(笑)。拍を牛耳っているコントラバスの方は、たぶんそういうことをつねづね考えていらっしゃるんですね。われわれはその手のひらの上で転がされているみたいに弾いているんだと思います。だから演奏中に池松さんを見ると、しょっちゅうニヤニヤしてます。ほらほら、みたいな感じで(笑)。
全部消えて、素晴らしい音楽だけが残っている
「晴れオケ」を率いるコンサートマスターの矢部達哉さん。1回目との変化を感じますか。
渡邉:今回のほうがリラックスしていらっしゃる。むしろ楽しんでさえいる感じです。今度は何ができるかなという探究心と、「晴れオケ」のみんなへの期待と喜び。また会えて一緒に弾ける。これは演奏家にとっては喜びでしかないんですね。前回はもう少しピリッとしていたというか、ものすごい使命感と緊張感を持って挑戦していたと思うんです。その挑戦が私たちの中ではもう当たり前になっているので、今度は絶対にまた違う風景が見えるはずです。
「晴れオケ」に来ると、発見がたくさんあるんです。それまで気づかなかった細かいところが急に聴こえてきたりするんですよね。矢部さんも弾くたびに、ベートーヴェンってやっぱり天才だよねと、隣の私と話しています。矢部さんに共鳴して集まった音楽家たちなので、その中心核になる人の思いだったり音楽観だったりは非常に影響します。
矢部さんは究極、弾いているオーケストラは消えてしまって、最後にベートーヴェンの音楽だけが残るみたいなイメージを目指しているんだと思います。ただただ素晴らしい音楽がある。われわれはそこに行く必要があるとおっしゃってました。もちろん一人ひとりが真剣に楽しみながら、そのうえでベートーヴェンに感動する境地で弾けること。どうだ!と拍手喝采を受けることは目的じゃなくて、最終的に自分たちも感動して終われるほどの境地。そこが本当に目指すレベルだとおっしゃってました。
今回3度目の共演の小山実稚恵さんのピアノはまさにそれで、聴いたこともないような美しい音の雫が、どこかからぽとんと落ちてくると、ただただ音楽だけが響いている。時を忘れるほど深く感動しながら、その響きと対話する。その作業を繰り返しながら、毎日変化していく。小山さんとの共演はそんな感じです。"伴奏"ではなく、みんなで協奏曲を楽しみたいですね。ベートーヴェンに届いたらいいなと思います。
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2024年9月28日のトリトン晴れた海のオーケストラ(晴れオケ)公演に、ソリストとして出演するピアニスト小山実稚恵さんにお話を伺いました。
小山実稚恵さんに聴きました! 指揮者なしの"晴れオケ"との共演は... こちら