トリトン晴れた海のオーケストラのベートーヴェン・チクルスの最終回となる「第九交響曲」のコンサート。まさに「合唱付き」の大交響曲なのだが、合唱だけではなく、皆さんご存知のように4人の独唱者も登場する。ソプラノ、アルト、テノール、バリトンという4人で、第4楽章では素晴らしいアンサンブルを聴かせてくれる。それが楽しみで、毎年「第九」を聴きに行くという方も多いだろう。「晴れオケ」の「第九」にも現在の日本を代表する歌手4人が参加するが、その中からソプラノの澤畑恵美さんにお話を伺った。
[聞き手/文:片桐卓也(音楽ライター)]
ベートーヴェンの「交響曲第九番」の第4楽章には4人の独唱者と合唱が登場します。ちょっと変な質問から始めたいのですが、実際のところ、第4楽章までの3つの楽章もかなり演奏時間が長く、第4楽章で歌うと言っても、それまで待機されている時間も長い。その間は、どんな風に過ごされているのですか?
澤畑:舞台には第3楽章入りが多いので、2楽章までは楽屋で聴いています。待ち時間が長いのでいつ衣装を着けるか人それぞれです。私は「第九」が始まる前にメイクを済ませて、1楽章を聴きながらドレスを着るルーティーンですね。2楽章に入るとソワソワしてきます、いよいよスタンバイだな、という気持ちになります。指揮者によって第1楽章入りもありますね。待機時間が長いのはなかなか厳しい面もありますが、舞台上で「第九」を堪能できる贅沢な時間でもあります。4楽章が始まると、ちゃんと声が出るのかなと少し心配になりますが。
舞台上だと、喉が渇いてしまいますよね。
澤畑:はい。舞台のスタッフさんがソリストの椅子の下にストローを挿したペットボトルのお水を置いて下さるので、喉の渇きが気になる時はそれを飲みます。座る位置によっては飲みづらいこともありますね。
最初に「第九」のソリストとして公演に参加された時のことを覚えていらっしゃいますか?
澤畑:だいぶ前の事なので忘れてしまいました(笑)。大学院を修了したばかりの頃、高校の恩師が指導していた地元の合唱団の『第九』が初めてだったと思いますが、ソロパートのレッスンに通ったことを覚えています。
ソリストの方々は、もちろん声楽の様々なジャンルの経験が豊富で、オペラなども歌っていらっしゃると思います。オペラを歌う時と、「第九」を歌う時ではかなり違うと思いますが、歌手の方々にとってはどうなのでしょう。
澤畑:オペラは演劇の要素が強いですから、時には感極まった声や感情の表現が必要で、それが魅力です。一方「第九」の場合は交響曲の一部分として、器楽的な音の扱いを意識する必要があります。テキストのシラーの詩には訴える力があり、器楽的に捉えて歌っていても次第にヒートアップして、ラストの四重唱に向けて高揚していきますね。一つのキャラクターを《歓喜のうた》から与えられて、オペラに似た気持ちになります。
シラーの詩は、いわゆる抒情的なものではなく、もっと叙事的というか、呼びかけや問いかけも含んでいますよね。
澤畑:はい。合唱が民衆だとしたら、4人のソリストは民衆の代弁者としての役割を感じますね。
澤畑さんから見る「第九」の魅力とは、どんなところにありますか?
澤畑:ベートーヴェンの最後の交響曲に、人間の声が加わり、その時々の想いを載せて人類世界の平穏を願う、とてもドラマティックなところでしょうか。
交響曲の中に歌手、合唱が加わる作品は少ないのですが、その中でも「第九」は特別ですね。
澤畑:第4楽章に使われているシラーの詩が特別であると、私は感じます。合唱やソリストから発せられるその言葉のメッセージは、舞台上の演奏者と聞き手に伝わり、共感を生み出すのではないでしょうか。オーケストラの第4楽章が始まり、美しく静寂なレチタティーヴォを聴き、バリトンのソロパートから合唱団が立ち上がり歓喜のうたのテーマを歌い上げる時、言葉の力を感じます。終盤の『Wo dein sanfter Flügel weilt...(その柔らかな翼の憩うところで...) 』という一節、実は歌うのは難しいのですが、その言葉にはいつも感動してしまいます。
4人のソリストの中では、やはりソプラノのパートが一番目立つように感じるのですが。
澤畑:最初のバリトンソロパートは《歓喜のうた》の一番印象的な部分ですし、テノールのマーチも独立したソロパートです。ソプラノはアンサンブルのみですが、高い音を歌いますので目立ちすぎない努力も必要ですね。
ベートーヴェンが書いた音符というのは、実際のところ、歌いやすいものではないように感じているのですが。
澤畑:歌いやすくはないですね(笑)。国立音楽大学在学中に合唱として参加したのが、私にとっての初めての「第九」体験でしたが、合唱のソプラノパートはとても難しくて大変でした。まだ大学3年生でしたから無理もありませんね。
その後ソリストとなって、数え切れないほど「第九」を歌わせて頂きましたが、未だに難しいです(笑)。いつまでたっても近づけない高みがあります。
「晴れオケ」の「第九」は指揮者なしで演奏されますが、以前に矢部達哉さんが指揮者なしで「第九」を演奏された時も、澤畑さんはソリストとして参加していらっしゃいました。その時の印象を覚えていらっしゃいますか?
澤畑:すごく入念なリハーサルをしたことを覚えていますね。フレーズやアクセント、また言葉に対して、どの様なアプローチでオーケストラと合唱、ソリスト全てが繋がっていくかという点について、かなり綿密な打ち合わせをしました。そのおかげで指揮者のいないことは、余り不自由に感じませんでしたね。
今回の合唱は東京混声合唱団が24人で参加されることになっています。その合唱とソリストのバランスという点では、どう予想されていますか?
澤畑:プロの合唱団24人は繊細且つ力強いアンサンブルになると想像します。ソリストとのバランスは大合唱の時より機密性があって面白いかも知れません。楽しみです。
今回の4人の独唱者の方は、本当に凄いメンバーが揃ったと感じています。
澤畑:もうベテランと言っても良いメンバーで、オペラやコンサートでの共演も多い4人です。気心の知れた仲間ですので、とても頼もしく感じます。だからこそ、主人(注/矢部達哉さんのこと)は「リハーサルで、歌手の方達からのアイディアも伺いたいし、それを演奏に活かして行きたい。オーケストラの演奏についても意見を言ってもらえれば嬉しい。」と話しています。
それぞれ、すでに自分のスタイルを持っていますが、柔軟にお互いの意見を聞くことも出来る方々ですし、言葉に出さなくても、声で自分の意見を表現できる方々なので、どんなアンサンブルになるのか、とても楽しみです。
これもまた失礼な質問です。日本の場合、「第九」の公演は年末に行われることがほとんどで、毎年公演に参加されると思うのですが、実際の準備というか、自分なりに「第九」への準備をされる期間というものはあるのですか?
澤畑:「第九」のソリストパートはとても少ないのですが、先程申し上げた様に歌いやすい曲ではありません。何度も歌っていますが、少しずつ身体に感覚を思い出させるためには早めに練習を始めます。
昨年は「第九」の公演もほとんど無くなり、歌われることもなかったと想像しますが。
澤畑:年末に「第九」が聴こえてこないのは、何か物足りなさを感じました。声楽、特に合唱付きの作品は昨年のコロナ禍では難しかったですね。
コンサートの無かった時期はどう過ごされていたのですか?
澤畑:家族が皆毎日家にいて、不思議な感覚でした。毎日の食事の支度は大変でしたが(笑)、片付けや不要なものを捨てたり、お天気の良い日には家族3人で犬の散歩に良く出かけました。こんなに家にいられるのは全ての仕事をリタイアしてからだろうと思っていましたから、今思えばとても貴重な時間でしたね。次のコンサートがいつなのかも分からず、大学も始まらず、全てが止まって沢山の時間があるのに、不思議と緊張感は途切れなかった様に思います。
プライベートな事で恐縮ですが、ご主人は矢部さん、そしてご子息の矢部優典さんはチェリストで、今回の「第九」の公演に参加されます。ご家庭の中が音楽家だけ、またそれぞれの楽器も違えば、活動している場所も違うのだと思いますが、新型コロナウイルスの流行しているこの時期は、音楽家がひとつの家の中で共同生活する、みたいな雰囲気だったのでしょうか?
澤畑:偶然にも家族3人音楽家となりましたが、普通の家族です。練習室の確保は普通のご家庭にはない問題かと思いますが、本番の近い人が優先!とか、暗黙の了解で上手くやっています。幸い男性陣は朝が遅いので、早起きの私は午前中に練習室を独り占めできます。
「晴れオケ」の前の矢部さんはどんな雰囲気なのですか?
澤畑:日頃、大変な本番やリハーサルが近づくとピリピリするタイプなんですが(笑)、晴れオケの時は普段とは違う雰囲気ですね。素晴らしいメンバーの方々と第一生命ホールを《我が家》の様に思っているのでは。指揮者のない演奏会は苦労も多いかと思いますが、その準備や構想を練る事を楽しんでいる様に見えます。
今回の「晴れオケ」の「第九」は、これまで私たちが知っていた「第九」ではなくなりそうな予感がします。
澤畑:コロナ禍での延期を乗り越えて、ようやく晴れオケの第九の公演が実現します。どんな第九になりますか、その感動を皆さんと分かち合えることを楽しみにしています。
ありがとうございました。