3年にわたる「トリトン晴れた海のオーケストラ(以下、晴れオケ)」のベートーヴェン・チクルスは、コロナ禍で最後の「第九」が延期となりました。本来「第九」の後の特別編として予定されていた今回の演奏会で、晴れオケは1年半ぶりにお客様をお迎えして演奏会を開催できることになりました。
晴れオケコンサートマスター矢部達哉さんと、ピアニスト小山実稚恵さんの、お互いへの信頼と尊敬の念は厚く、第一生命ホールでは室内楽のシリーズで何度も名演を繰り広げています。おふたりに一日違いでお話を伺うことができました。(ぜひ、矢部達哉さんインタビューもあわせてお読みください。)
[聞き手/文:田中玲子(トリトン・アーツ・ネットワーク)]
コンサートマスター矢部達哉のすごさ
矢部さんが、小山さんのことを「あれほど鋭敏で繊細な感性を持つ方はいない。自分がやりたいことを常に先に察知して道を作ってくれる」とおっしゃっていました。
小山:矢部さんの音楽からは、それが見えるからです(笑)。
見える。それはどんな方でも見えるものなのですか。
小山:いえ、見えなくて憶測の時もありますよ。でも矢部さんの場合は、とても、見える。
舞台上で起こることの気配が伝わるんです。矢部さんの気配は誰よりも分かりやすいです。どんなに小さな呼吸でも何をやりたいかが明確で、私は矢部さんが本気で出した合図だったら100%合わせられる自信があります。合わないことがありえないほど鮮やか。このピンポイントで合わせられる能力は、矢部さんがもともとお持ちのものなのか、長年コンサートマスターでいらっしゃることで培われたものなのか分かりませんが、本当にすばらしいですよね。
協奏曲の時は、コンサートマスターとして、音楽の流れだけでなく、他の楽器の細かな動き、演奏家による違いまで全部把握して、耳でも聞き分け、目でも魚眼レンズ的に全てを見ていらっしゃる。その情報の集合として、調整されているのですね。本当にすごいことです。
矢部さんが演奏中にそういうことをされていることを、小山さんがまた敏感に感じるわけですね。
小山:もう感じざるを得ないのです。誰もが感じていると思いますよ。だからオーケストラの皆さんの中にも、ものすごく緊張感があるのではないでしょうか。何かその場のノリで、勢いに乗ってやった方が、気楽なこともありますが、そういう問題ではないのです。それから、あれこれ気づいても対応するのが技術的に難しいという場合もありますが、矢部さんは瞬時に調整できるテクニックがすごく高いのだと思います。そして精神的にお強い。ここぞという時の絶対的な集中力といいますか。前にもお話ししましたけど、卓球選手の伊藤美誠ちゃんとどことなく似ているんです。勝負師のところとか。こう、何かに向かう時の、繊細なのに、ふてぶてしい(笑)と言ったら失礼ですが、いい意味でのしたたかさがある。自分を過剰に主張するのではないのですが、色々見えた上で「ここはゆずれない」という大事な時は、梃でも動かない感じといいますか。
ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番
共演していただくのは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番です。オーケストラではなくピアノの奏でる美しい和音から始まりますね。
小山:あまりに美しい出だしです。あの最初の和音は、実はピアニストにとって本当に難しいのです。椅子に座っていきなり鍵盤に触れるわけですから、音の手掛かりが全くない。弾いた瞬間に私自身、音の響きを知ることになるのです。ベートーヴェン研究の権威の平野昭先生も「昔はアルペジオ(分散和音)で弾いたこともあったかもしれませんね......」とおっしゃっていて、私は最初の和音をどうするか考えているところです。冒頭のフレーズはピアノがト長調の和音の上にシー・シ・シ・シ・シ・ラ・ラ・ラ~、その後、弦楽器は同じシー・シ・シ・シ・シ・ラ♯~と、なんとロ長調で!そっと入ってくるのですから。当時の人はどんなに驚いただろうと思います。すごく斬新ですよね。
2楽章は、オーケストラとの掛け合いで始まります。
小山:平野先生が「2楽章はどれだけオーケストラとピアノが他人でいられるかということ」とおっしゃっていました。呼ばれても、あえてすぐ呼応しないんですね。もう別の世界を歩んでいる。弦楽器が付点の短い音で呼びかけるのに対して、ピアノの方は長い音で......音が減衰するピアノにとっては一番難しいことで、楽器の機能的なことを考えると弦楽器と逆ならいいのに、と思いますけど、響きや音楽としては、きっとそれではだめなんですよね。あえて逆であることで、心に訴えかけるのですね。
そして、2楽章で、あんなに嘆いて終わったと思ったら、3楽章はチャーミングで、楽しい。いいですよね、あのリズム感。
ベートーヴェンは、今シリーズで取り組まれており、CDや、平野先生と対談を重ねて本も出されて、想い入れのある作曲家なのではないかと思いますが。
小山:新型コロナウイルスや震災といった困難があると、なおさらベートーヴェンの音楽が普遍だと思えます。人間として、力強い。人間の根本的なものを謳っています。ドビュッシーやラヴェルですと、もう少し本能的で、野生動物や鳥といった自然界のものに近い感覚があるように思うのですが、ベートーヴェンは、絶対に人間ですね。生き抜く意思は、ベートーヴェンの作品に、より感じます。
昨年6月に、晴れオケが「第九」の代わりに少人数の編成で演奏したライブ配信を聴いてくださいました。
小山:まだコンサートができない頃だったので、やはり音楽ができる、という喜びがすごく伝わってきましたね。心の距離が一つになっていました。本当に透明感にあふれた音楽で、心に響きました。
晴れオケの演奏会は、いつもお客さまがいて最終的に完成するという感じがありますが、小山さんも以前、例えば誰もいないレコーディング会場でポーンと1音弾くのと、聴き手がいるところで弾くのとは違うとおっしゃっていましたよね。
小山:そうなんです。誰もいないと、単純に音の行方だけを聞いて、心が決まってしまうんですよね。でも聴衆がいると、「今だ!」と分かるのです。何か感じるといいますか......。一人だとなんだか違うようになって、後で録音を聴くと「なんでこうしたのかしら」と感覚のずれを感じることもありますが、お客さまがいると、それが自然なんですよね。やはり、誰かの想い、その場の空気などを感じて決めているんだと思いますね。
おもしろいですね。つまり、ゲネプロ(当日のリハーサル)までの演奏と、お客さまが入っての本番では違うということですね。
小山:絶対に違います。ゲネプロは、情報を得ることを目的としていて、あとは自分を整えるなど、本番のための準備をするものですね。かといって、その情報通りにはしないし、ならないし、しようとも思わないのですけどね。
今年は、第一生命ホールでは、協奏曲も室内楽(12月にアルティ弦楽四重奏団、池松宏と共演する「小山実稚恵の室内楽」)も楽しみです。
小山:同じ協奏曲でも、指揮者がいらっしゃらなくて晴れオケみたいな協奏曲だと室内楽に近いものがあるんですよね。ベートーヴェンの第4番をご一緒できるなんて、本当に嬉しいです。
矢部さんは、実稚恵さんほど勇気や希望や光を与えてくれるピアニストはいらっしゃらないんじゃないかとおっしゃっていました。東日本大震災復興支援の企画を続けていらっしゃって、先日も、東北の小中一貫校の体育館で演奏なさっていましたね。
小山:目の前で演奏すると、子どもたちはそのまま喜んでくれますよね。「楽しい」というと語弊があるかもしれませんが、私は、音楽にはそれしかないと思うんですよね。悲しいことがあっても、最後は楽しいというか。満足感、幸せといったような気持ちが心に残っていないとね。
希望や光みたいなものですね。
小山:絶対そうですよね。いくら深く突き詰めても、最終的には、音楽はそこに行きつくのだと思います。