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トリトン・アーツ・ネットワーク

第一生命ホールを拠点として、音楽活動を通じて地域社会に貢献するNPO法人です。
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アーティスト・インタビュー

(C)大窪道治

矢部達哉(トリトン晴れた海のオーケストラ コンサートマスター)

音が出る前に多くは決まっている
鋭敏な感性が交差する晴れオケ×小山実稚恵の初共演

 2020年6月の「第九」で3年かけてのベートーヴェン・チクルスを完結させる予定だった「トリトン晴れた海のオーケストラ(以下、晴れオケ)」。ベートーヴェンの交響曲を8曲演奏するうちにますます一体感が高まり、「『第九』後にはきっとベートーヴェン・ロスになってしまう!ぜひすばらしいソリストを迎えて、もう少しだけベートーヴェンを…」と計画していたのが、実は今回の演奏会でした。ところがコロナ禍で2020年「第九」が延期となったため、こちらがお客さまをお迎えしては1年半ぶりとなる「晴れオケ」再開公演となりました。

 晴れオケのコンサートマスター矢部達哉さんと、今回ソリストに迎えるピアニスト小山実稚恵さんの、お互いへの信頼と尊敬の念は厚く、第一生命ホールでは、「小山実稚恵の室内楽」シリーズ他で、矢部さんはアルティ弦楽四重奏団としてピアノ五重奏、またチェロ宮田大さんを交えたピアノ三重奏曲(トリオ)など、いずれも忘れ難い名演を繰り広げてきています。おふたりに一日違いでお話を伺うことができました。(ぜひ、小山実稚恵さんインタビューもあわせてお読みください。)

[聞き手/文:田中玲子(トリトン・アーツ・ネットワーク)]

小山実稚恵さんというピアニスト

矢部:実稚恵さんは、自分のキャリアの最初の頃から大ソリストで、何度も協奏曲をご一緒させていただいていますが、彼女ほど希望や光や勇気を与える音楽家はいないとずっと思っています。
 この1年はコロナ禍でみなさん大変な時を過ごされたと思うのですが、僕は、去年(2020年)2月15日に第一生命ホールでのトリオで実稚恵さんとご一緒させていただいて、その後(新型コロナウイルス感染症拡大防止のために全国でコンサートができなくなり、緊急事態宣言が明けるまでの)4か月間、何もなくなったという状態でした。ですが、そのトリオが、室内楽でこれまでほとんど訪れたことがないほどの充実した幸せな時間で......。4か月間つらかったけど、そのコンサートがあったことで救われました。その後、9月に(都響コンサートマスター30周年記念公演で演奏した)ベートーヴェンの三重協奏曲でもごいっしょだったので、去年は厄介な年でしたが、最悪の年と言わずにいられるのは、実稚恵さんといっしょに演奏したその二つがあったからですね。


小山実稚恵さん、宮田大さんとのトリオは、本当にすばらしく、私たちにとっても特別な演奏会でした。その時に矢部さんは、小山さんのことを「あれほど鋭敏で繊細な感性を持つ方はいない」とおっしゃっていましたね。

20200215Trio(C)OkuboMichiharu_OK64625YK.jpg矢部:共演する人が何をやりたいか、常に先に察知して道を作ってくれるのです。僕も一応先を読むことはやっているんだけど、実稚恵さんは歩き心地のよい道を「はい、ここでしょ」「はい、ここどうぞ」と全部作ってくれる。本当に魔術師としか言いようのない人です。
 以前、協奏曲でごいっしょした時、僕なりに先を見通して、「もう少し先でこれがあるから、今こうしていないと」と思っていることが、実稚恵さんには全部分かっていた、ということがありました。僕が音を出す前の空気をさっと読む人。僕がやろうとしていることを本能的に捉えているんです。
 実稚恵さんと、指揮者なしの協奏曲は初めてで、晴れオケのみなさんもものすごく鋭敏な感性を持っているので、そこで素晴らしい化学反応が起こるのではないかと本当に楽しみにしています。何か新しいことが生まれる、すごくいい予感があります。


晴れオケのコンサートマスターとして

矢部:指揮者でもそうですが、実は音楽は音を出す前に多くが決まっているのです。晴れオケでも、次はどういうテンポ、音質、音量なのかということが、音を出す前の動きにどう含まれているかが勝負なんですよね。何も動いていないように見える時でも意味があるんです。皿回しでもお皿が回り始めたら触れないで放っておく方がいいですよね。僕も昔は動いていたけど、今はあまり動かない。オケが回転しているから邪魔しないようにしています。
 実稚恵さんが「何をやろうとしているか矢部さん以上に分かる人はいない」と言ってくれて、僕のやり方を理解してくれているんだなとすごくうれしかった。アインザッツ(ザッツ、出だしのタイミングの合図)は、実は存在しないと思っているんです。よく「あの人のザッツは分かりにくい」とか「ザッツだしてよ」とか言いますが、タイミングをとるための動きなんて、分かっているんだから必要ないんです。特に晴れオケのように高度な人たちの集まりでは「はいみなさんここですよ」とやる必要はない。
 指揮者のアラン・ギルバートがよくいうのは、when(いつ)が大事なのではなくて、how(どのように)が大事。実稚恵さんとはまさにwhen ではなく how のやりとりができると思います。20191130(C)OkuboMichiharu_OK51718_No8.jpg


協奏曲の時は特に、コンサートマスターに対してピアニストは背中を向けて演奏しているので、見えないのに察知されるのですね。

矢部:指揮者でも、バレンボイムや小澤(征爾)さんなど、まさに音を出す前、振り出す前に何かが分かる。それは気配とか、鼻息......。鼻息にも色があると思いませんか。鋭い鼻息もあれば深い鼻息もある。楽しそうな鼻息もあれば悲しそうな鼻息も。あとは身体の動きも、楽しそうな動き、重い動き、それを見せることによって色が変わる。そういうことがありますよね。
 確かに協奏曲は実稚恵さんの背中越しで演奏しているのですが、僕の気配や、僕の弾き方を聞いて反応してくださるのが分かる。もちろん、カデンツァ(ソリストの独奏)の後など、どうしてもザッツが必要なところもありますけどね。
自分たちがチクルスに取り組んで、交響曲第8番までで培ってきたベートーヴェンと、実稚恵さんの今までのキャリアで育んできたベートーヴェンで、ピアノ協奏曲第4番がどのように織り重なって心の共感を見いだせるのか、今からワクワクが止まりません。


モーツァルトについて

ベートーヴェンの協奏曲を挟んで、晴れオケとしては、久しぶりにモーツァルトを演奏します。

矢部:「ドン・ジョヴァンニ」序曲も(最初は短調ですが)、交響曲「プラハ」も、どちらも二長調ですよね。二長調は、神の調という話がありますよね。
 何しろ、晴れオケが楽しいなという感じになったのは、最初にモーツァルトの最後の三大交響曲をやった時。あれは本当に楽しかったですね。1年目の第40番はまだ探っている感じがあったけど、3年目の第39番は本当に幸せでしたし、まだモーツァルトでやるべき曲が何曲もあると思う。僕自身はベートーヴェンを始める時は、晴れオケは背伸びをしなくてはいけないな、と思っていました。ただ、2020年のベートーヴェン生誕250周年があったから、今始めるしかないと清水の舞台から飛び降りる気持ちでしたけど、モーツァルトには晴れオケの最初のころの、自分たちが楽しい楽しいと思った積み重ねの思い出があります。楽しみとしか言いようがないですね。


矢部達哉にとっての晴れオケとは

去年6月は「第九」はできず、小編成の曲に変更して無観客ライブ配信となりました。今年6月は、1年半ぶりにお客さまを迎えての演奏会となります。

20200620streamingDSCF1549_2.jpg矢部:あの時も僕は、「なんてすばらしいオーケストラだろう」と思いましたし、去年から今年の流れを考えると、自分に晴れオケがあるかないかは、帰っていける楽しい場所があるという意味で、ものすごく大きなことだと思いましたよね。自分の心が緩んで楽しく音楽できる場所があるというのは、幸せなことだなと。
 去年6月から、早く晴れオケを再開したいと思っていましたが、コロナが落ち着かず、状況が整わなかったですよね。配信がメインというより、できるだけ多くのお客さまに会場で聞いていただきたいと思って機会を見ていました。これから動画の果たす役割は大きいと思うのですが、やはり音楽は一期一会で、会場にいた人しか味わえないものがあって、晴れオケのコンサートは、まさに一期一会。
 でも、あのライブ配信を見た方には、ものすごく褒められました。「どうやってあんなバッハのアリアの演奏ができたんですか?」と。秘密は言いませんでしたが(笑)。実際はリハーサルでは強弱しか言わなかったし、テンポもチェロとコントラバスに任せましたし。晴れオケのメンバー同士も、実稚恵さんが言うような、高度な感性でのお互いの理解があるのだと思いますね。