(カウンターテナー)福田進一(ギター)|アーティスト・インタビュー" />
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アーティスト・インタビュー

写真左から藤木大地、福田進一 ©山野雄大

藤木大地(カウンターテナー)福田進一(ギター)

雄大と行く 昼の音楽さんぽ 第14回
藤木大地&福田進一 歌とギターの妙(たえ)なる新世界

 お昼どき、瑞々しい音楽と楽しいトークでお届けする90分‥‥《雄大と行く 昼の音楽さんぽ》来たる7月4日(水)の第14回では、素晴らしいデュオをお楽しみいただきます。その柔らかく見事な歌唱でヨーロッパの名門歌劇場へと活躍の場を広げるカウンターテナー歌手・藤木大地さんと、深まる円熟にも凛とした美しさが満ちる世界的名ギタリスト・福田進一さんの共演です!

 カウンターテナーは、男声歌手でもファルセット(裏声)などを綺麗に響かせて高い音域(女声でいうとアルトからメゾソプラノ)を歌う声種。バロック・オペラや20世紀以降の現代オペラ(ブリテン《真夏の夜の夢》以降、カウンターテナーを必要とする作品が増えました)でその魅力的な表現が求められることも多々。藤木さんは、ウィーン国立歌劇場で上演された現代作曲家ライマンの《メデア》に出演(2017年4月)、至難の作品を見事に歌って喝采を浴びたほか、日本各地でのオペラやリサイタルでも、心に豊かなイメージをひらくその緻密でしなやかな歌唱が絶賛を集めています。

 その歌唱と共演する福田進一さんは、1981年のパリ国際ギターコンクールでグランプリ優勝を飾って以来、世界を舞台に活躍を続け90枚を超えるアルバムをリリース、ソロや協奏曲はもちろん室内楽にも経験ゆたかな名匠です。その自然な歌と響き、ヴェテランならではの香気と艶も素晴らしいギタリスト、門下から優れたギタリストたち(鈴木大介、村治佳織、大萩康司‥‥)を輩出する名伯楽でもあり、さらにその次世代のギタリストたちからも深い敬愛を捧げられる存在でもあります。ここ数年は藤木さんとのステージも重ね、互いに確かな信頼と敬愛を深めており、藤木さんのデビューCD『死んだ男の残したものは』でも共演。この精妙と大胆を魅せるデュオが、いよいよ《昼の音楽さんぽ》に登場です。

 今回は福田さんが生前の作曲家をよく知る武満徹作品、藤木さんと交流も深い加藤昌則さんの作品をはじめ、イタリア古典歌曲などヴァラエティに富んだプログラム。清澄と爽快、詩情の深遠‥‥希有のデュオを体感していただく機会を前に、おふたりにあれこれお話を伺いました。[ききて・文:山野雄大]


藤木大地さん、福田進一さん──お二人の出逢いと現在

福田さんは、ギター・ソロや協奏曲はもちろん、さまざまな楽器や声との室内楽を演奏されてきた大ヴェテランでいらっしゃいますが、カウンターテナーとのデュオ、という組み合わせがまた素晴らしくて‥‥。ギターの世界的名匠と素晴らしいカウンターテナーのお二人を《昼の音楽さんぽ》のお客さまにご紹介できることを、心から嬉しく存じます。お二人はもう何度も共演を重ねていらっしゃいますね。

福田:もう5、6回は共演してるかな?

藤木:2016年の夏に共演させていただいたのが最初ですね[2016年8月21日《第11回 Hakuju ギター・フェスタ2016》フィナーレ公演で、武満徹《SONGS》を藤木大地さんのカウンターテナーと、荘村清志さん、福田進一さんのギターで共演]。デュオで最初に演ったのは名古屋ですね[2016年12月1日《藤木大地&福田進一デュオ・リサイタル》電気文化会館ザ・コンサートホールにて、シューベルトや武満徹などを共演]

福田:そのあと関内でも演ったし[2017年9月3日、関内ホールにて、武満徹やブリテン編曲民謡集などを共演]‥‥藤木君は大萩[康司さん(《昼さんぽ》第15回〈2018年10月12日〉にもご出演予定のギタリスト/福田さんに師事)]ともよく共演してるから、大萩と演ったコンサートでも自分が弾いたような気になっちゃう(笑)。

藤木:それに、レコーディングもご一緒させていただきました[藤木大地『死んだ男の残したものは』(キングインターナショナル KKC04/2017年4月発売)で、福田さんや大萩さん他と共演]。‥‥ギターという楽器を弾かれるかたとは幸いいろいろなご縁があって、大萩さんや鈴木大介さん、荘村清志さん、益田正洋さんなどご一緒させていただいてきたなかで、福田さんは〈元締め〉的な存在で(一同爆笑)。ラスボス的な存在で頂点にいらっしゃるかたなのに、凄くフレンドリーに接してくださって。最初にお会いしたときに福田さんが「気にせず何でも言ってください。やりにくいことがあれば言ってほしいし、やりたいことがあれば言ってほしい」とおっしゃってくださったのをよく覚えています。‥‥ギターの方々はとてもフレンドリーなんですけど、歌の世界で福田さんと僕くらいの年齢差があると、凄い差があるんですよ。精神的にも。

福田:だろうなぁ!(笑)

藤木:そもそも歌の場合、共演させていただくということもないんです。そういう意味でも、ギターと歌の世界は違うなぁと思っていて、ギターの皆さんの仲の良さがとても羨ましいですね。そのなかで福田さんという存在は‥‥僕はギターと共演するときに、もちろんギターを〈伴奏〉とは全く思っていなくて、〈室内楽〉として考えているんですが、自分に〈こう歌おう〉と思っているテンポがあっても、福田さんはそれを必ずしもすべてその通りには演らず「いや、俺はこうやで!」と示してくださる瞬間が何度もある。本番で起こる駆け引きもたくさんあって「そう来るなら、こう行こう!」とやる、それが凄く楽しいんです。予定調和ではない、身体と[福田さんの]身体と楽器、その関係を感じながら音楽をやらせていただいている感覚があるので、毎回新鮮です。リハーサルはするけれども、即興的な、その場で起こる音楽、という感じが福田さんとの演奏では特に楽しいです。

福田:藤木君の歌は、優しさとか大らかなところとか、とても良い持ち味があるし、凄く耳がよくて素晴らしい音程感覚を持っているのは、舞台だけでなくレコーディングでも感じました。この柔らかいカウンターテナーの響きと、それを彩る弦の響きから、未知のものを創っていきたいですよね。声の振動と一体化しながら、藤木さんの良いところを、より良く飾れるようにできればと思います。本番が7月4日‥‥パリ祭の日ですね、それまでいろいろ研究していきたいですね。


ギタリスト・福田進一と〈カウンターテナー〉

福田進一(c)Takanori Ishii-4.jpgまず福田さんに〈ギタリストから見たカウンターテナー〉についてお話いただければと。

福田:そもそも僕が〈カウンターテナー〉というジャンルがあることを知ったのは、パリに留学している頃でした。まず出逢いは、アルフレッド・デラー[1912~79/イギリスのカウンターテナー]のLPレコードだったんです。彼がデスモンド・デュプレ[1916~74/イギリスのリュート奏者。デラーとは1949年にギターで共演録音を始め、のちにリュートを弾いての共演録音も多数]と共演してハルモニア・ムンディから発売したイギリス民謡集が、僕の愛聴盤でした。擦り切れるほど聴きましたし、将来こういうことを演ってみたいな、と思った。

アルフレッド・デラーといえば、20世紀のカウンターテナー再興の先駆者ですね。

福田:演奏会では、僕がフランスに行った頃はルネ・ヤーコプス[1946~/ベルギーのカウンターテナー、指揮者としても活躍]が全盛期で、素晴らしい演奏会を何度か聴いて、それが僕にとってカウンターテナーという世界への入口にもなった。その他にも、ダウランドなどルネサンス音楽の作曲家を歌うカウンターテナーが何人かいらっしゃって、教会で古楽を演奏するのによく通いました。ウィリアム・クリスティさん[1944~/アメリカ出身の指揮者、フランスで古楽アンサンブル〈レザール・フロリサン〉を創設]のアンサンブルとか、いろいろな演奏会でもカウンターテナーを聴きました。

古楽の喜びを大きく広げてくれた大御所たちですね。

福田:レコードもたくさん出ていたんですが、生の演奏で聴けたのは本当に良い経験になりました。歌は本当に好きでしたよ。器楽だとどうしても勉強する気で聴いちゃうので、自分が酔えるという意味で歌がいちばん楽しかった。

いろいろ聴かれたなかで、カウンターテナーとも出逢われたと。

福田:そして、日本でもいつか、そういう人たちが出るのかなぁ‥‥と思っていたんです。日本では、藤木君の大先輩になるけれど、《もののけ姫》で広く知られるようになった頃の米良美一さんと共演したのが最初ですね。もともと僕は歌と共演するのが大好きで、いろんな歌手のかたと演ってきたのですが、カウンターテナーというジャンルは米良さんが出てこられるまで演ったことがなかった。

日本でカウンターテナーを広く認識させた最初のかたが米良さんでしたしね。

福田:それからずいぶん間があいて、藤木君と共演することになったわけです。本当に素晴らしい歌手が登場したな、と思いましたよ。

藤木:(照れ笑いしながら)ありがとうございます‥‥


〈声とギター〉の妙味

今回の《昼さんぽ》で皆様にお聴きいただく〈声とギター〉という組み合わせ、これがまた本当にいいんですよねぇ‥‥。

福田:コンラート・ラゴスニック[1932~2018/オーストリア出身のギタリスト]というギタリストがいて、つい1月に亡くなってしまったんですけど‥‥。彼が1970年代の終わりに、テノールのペーター・シュライヤーと一緒に、シューベルトの歌曲集《美しき水車小屋の娘》をザルツブルク音楽祭で演った[1978年8月]、僕はそのライブが放送されたのをパリで聴いたんです。そのとき「これは凄いことをできる人がいるんだなぁ‥‥」と思った。大きな会場でギター1本で伴奏して、またそれにのってくれるシュライヤーという歌手も凄い。そのふたりが日本公演で来たときに実際に聴くことができたんです。

福田さんがいろいろな声楽家を挙げて下さいましたが、藤木さんいかがですか。

藤木:僕がカウンターテナーに転向したのは2011年で、もちろんそれ以前のこともリサーチはしていますが、リアルに知っているのは転向して以降ですから、福田さんは僕の知らないことを本当にたくさんご存知で‥‥。先ほど挙げてくださった、ウィリアム・クリスティさんとは僕いまウィーンで一緒にお仕事をしていて、彼が〈レザール・フロリサン〉をウィーン国立歌劇場に連れてきて、ヘンデルの《アリオダンテ》を演るんです[藤木さんは2018年2月に新演出されたこの舞台でカバー歌手の重責を担った]

福田:凄いねぇ。彼[クリスティ]は「こうやって演るんだよ」とか言うの?歌い方とかまでは言わないの?

藤木:けっこう細かいですね。お持ちのテンポとか凄くある感じはしますし、すごく統率される感じの指揮者ではありますね。

先ほどのお話ですと、藤木さんがクリスティさんの演奏を録音などでお聴きになったのは、転向されてからということになりますか?

藤木:はい。僕は昔はテノールだったので、バロック・オペラというジャンルを演っていなかったんです。バッハやヘンデル、今回のコンサートでも歌うモンテヴェルディもですし、ギターとの共演で歌うレパートリーでもダウランドやパーセルといった作曲家はほとんど演っていなかった。転向してから、新しく調べて勉強した音楽なので、そういう意味でも僕にとって新鮮です。

新しく経験できることもまた楽しいですね。


《昼の音楽さんぽ》の選曲をめぐって

藤木大地(クレジット不要).jpg藤木:今回のプログラムを決めるときも、師匠[福田さん]がいろいろな曲を送って下さるんですよ。『これええでー』って(笑)。その中にあったのが、今回歌うカステルヌオーヴォ=テデスコ《流浪のバラード》で、これ本当にいい曲なんです。ベッリーニもそう[往年の大ギタリスト、セゴビアが編曲した《フィッリデの悲しげな姿よ》]。福田さんはとてもいろいろなことをご存知だし、楽譜もたくさんお持ちだし、教えていただくことばかりです。これまでの共演で、リハーサルをしながら『こんな曲もあるよ』という会話をしていた中から、新しい共演曲が生まれて来たりもしているんです。

今回のコンサートでは、前半で【イタリアの歌】を、後半に【日本の歌】をプログラミングしていただいていますが、このアイディアはどちらから?

藤木:僕だったような気がするんですがよく覚えていなくて‥‥(笑)。ただ、今まで[福田さんと]演奏してきたのが、ダウランドやブリテン編曲のフォークソング、武満さんやシューベルト、といった曲なんですが、今回はちょっと新しいことを演りたかったんです。ドイツものでもイギリスものでもなくて‥‥と考えて、イタリアものをチョイスしたいな、と。そのときに、福田さんが《うるわしのアマリッリ》[カッチーニ作曲]の楽譜を持ってらっしゃるのを覚えていましたし、モンテヴェルディ《あの高慢な眼差しは》[SV.247]もそうです。デュオのレパートリーを広げたかったので、こういう選曲になりました。

福田:レパートリー開拓という意味では、〈カウンターテナーとギター〉というのは、組み合わせとしては純粋に新しいわけで、ちょっと開発していかなければいけないところもあるんですよね。今回のモンテヴェルディやカステルヌオーヴォ=テデスコは、20年くらい前に永井和子さんと演った曲なの。僕と同い年でよく共演したんですけど、つまりメゾソプラノの音域の曲なんです。僕は歌手の音域についてはよく分からないんだけど、藤木君はどのくらいの音域の曲がいいのかな、というのはつきあっているうちにだんだん分かってきたので、この曲もあった、あの曲もあった‥‥と頭の引き出しからどんどん出てくるんだけど、楽譜の場所が分からない(笑)。山のような楽譜に埋もれていて、もう家捜しですよ(笑)。

長いキャリアを重ねてこられて、膨大な楽譜が‥‥

福田:この暮れに、人生で最大の断捨離をしたつもりなんですけど、半分くらい大萩にやったなぁ(笑)。

それで大萩さんのレパートリーがさらに増えるのも楽しみです(笑)。

福田:僕らの頃は、どこかの図書館へ行って楽譜を探したり、ファクシミリ[写本]だとかねぇ‥‥でも今は全部ネットにあるでしょう?悔しいわぁ‥‥

今では楽譜出版社のWebサイトでデジタル版の楽譜を買ってダウンロードできたりしますけれど、昔は絶版で手に入らない譜面をダメ元で楽譜出版社に問い合わせたら、〈出版社により複写許可済〉というハンコがどーんと押されたコピーが送られてきたりしましたね(笑)。届くのもおそろしく時間かかりましたし‥‥

福田:註文したことも忘れた頃に楽譜が届いて、それがなんで必要だったのか分からなかったりしたね(笑)


気鋭の作曲家・加藤昌則さんの才気

新しいレパートリーというお話の流れでお伺いしますが、現在活躍中の作曲家でいらっしゃる加藤昌則さんの《旅のこころ》《木馬》を取り上げられますね。

藤木:僕が加藤さんと知り合って2年くらいになるんですが、別のホールの企画で彼が音楽監督をしているシリーズがありまして[Hakuju Hall《中嶋朋子が誘う 音楽劇紀行 バロック・オペラからミュージカルへ ~音楽劇の歴史を追う》2016年~]その打ち合わせでお会いしたのが最初でした。‥‥彼の曲がいい、という噂はあちこちで聞いていて、楽譜を見せてほしいと頼んだら快く送ってくれたんです。その中で演ってみたい曲が幾つもあって、演り始めたら本人にも聴いてほしいと思って(笑)コンサートでも演るようになりました。福田さんはもっと以前から加藤さんとおつきあいがあるんですよね?

福田:うん。

藤木:加藤さんはギタリストとのおつきあいもあるので、ギター版に編曲された楽譜もあったりしたんです。それをお借りして、大萩さんと一緒に演ったり、福田さんと一緒に演ったり‥‥。それで〈日本の歌〉というチョイスの中には必ず加藤さんがあって、僕の最初のCD[『死んだ男の残したものは』]にも加藤さんの書き下ろしの新曲《てがみ》も入れましたし、加藤さんの編曲で《花は咲く》[菅野よう子作曲]を、福田さんのギターと加藤さんのピアノと僕とで共演しています。

福田:僕はずいぶん前から加藤さんとやっていて、Hakuju Hallで荘村清志さんと一緒にやっている《ギター・フェスタ》でも曲を書いて貰ったんです。これがとても難曲で苦労したけれども‥‥今年はそのハクジュのフェスタで、加藤さんにギター独奏曲を頼んでいるんですよ。彼はピアニストでもあるけど、ギターの機能もとてもよく研究して分かっているし、この楽器がどういうことができるのかを知ってくれている人なんです。また彼の歌曲に関するセンスがとてもいいんですよね。詩の内容をとても大事にする曲を書く人だし、今の時代の誰が聴いても共感できるセンスを持った作品を創る人です。

多くの演奏家にも支持されている作曲家ですね。

福田:僕と[ヴァイオリニストの]川田知子さんでレコーディングしたときにタンゴの編曲を頼んだら[アルバム『我が懐かしのブエノスアイレス』2013年、マイスター・ミュージック]、これがまた、ギタリストが編曲したように楽器の使い方をよく分かっている、非常にセンスの良いものだったんです。


作曲家・武満徹──ギターへの深い理解

★DSC_3750(C)山野雄大.jpg福田:作曲家にもいろいろな人がいらして、頭の中にはフレットボード(ギターの指板)ではなくキーボード(鍵盤)しかない人もいて、それはそれでその人ならではの面白さというものが別にあるんです。しかし、フレットボードを理解して下さっているというのはね。

ギターをそこまで理解している作曲家という存在も貴重なのですね。

福田:たとえば、武満徹さん[1930~96/今回の《昼の音楽さんぽ》でも彼の作品から《SONGS》やギター・ソロのための《波の盆》(鈴木大介編曲)をお聴きいただく]は、ギターのフレットボードに関して完璧な理解があった作曲家でした。僕はよく言うんですけど、クラシックの作曲家のなかで、ギターの音の配列を完璧に理解していたのは武満さんとヴィラ=ロボス[1887~1959/ブラジルの作曲家]の二人くらいだろうと。他の作曲家は、こちらがちょっと直してあげないといけないところがあるんですが、この二人に関しては絶対にない。武満さんはギター弾けないんだけど。ヴィラ=ロボスはギターを弾いている映像が残っていますが、こちらも我流なんです。しかし、頭の中でどこに何があるか判っている。‥‥ただ、キーボードの感覚で組み立てている作曲家のかたでも、凄い人はこちらが少しサジェスチョンするといいものを引き出してくださったりもしますから、これはわからない。

先ほど福田さんから、加藤昌則さんもギターに理解が深い、というお話がありましたが、歌手の立場から加藤さんという作曲家についてどうお感じになりますか。

藤木:言葉を凄く大事にされるので、こういう表現をしたい、というところで言葉がちゃんと伝わるような音符の置き方をされているし、メロディも綺麗。そして、今まで2年以上彼の曲を歌ってきた経験から言えることは、なによりお客さんが喜んでくださるんですよ、彼の曲は。

福田:ほんとにそうだね。

藤木:それが何よりなことで、こちらもお客さんが喜ぶからプログラムに入れたいな、歌いたいなと思う。そういう曲が彼にはいっぱいあるし、けれどもそれは彼が気に入られようと書いたわけではなく、言葉を伝えるために書いたらそういう作品になったんだと思います。あと、師匠もご存知のように、彼はとてもお酒を呑むので夜はとても楽しい(笑)。そこで盛り上がったなかで「じゃあ書くよ!」みたいな人間的なつきあいも楽しい人なので‥‥単純に言うと、いい人なんですよ(笑)。

福田:いい人がいちばんいいね!(笑)こないだもよう呑んで帰ったなぁ‥‥(笑)

藤木:凄く楽しく過ごせるというのは、音楽家として大事ですよ。人間が良いと、作品に対する愛着も湧くんですよ。


作曲家・武満徹の思い出

曲を創られる方の立場でも、演奏してくださる皆さんのことをよく分かっていると、こんなことも出来る、あんなことも出来る‥‥とアイディアが湧くということもあるでしょうね。

福田:それはあります。

藤木:そう、あると思います。

福田さんは生前の武満徹さんともご一緒にいろいろとされてきたわけですが‥‥

福田:やはりそれもそういうことなんですよ。ホントに呑んだらくだらないことばっかり喋ってたんで、崇高な厳しい顔立ちのイメージを崩すのではないかと思うんですが(笑)、酔っ払った時のことは荘村さんなんかもっといろいろご存知だろうと思うんですけど、呑んだらほんとに凄かったですね。シビアなときはびしっとされてて、山にこもって一切連絡が取れないし‥‥そこで作曲しているときは一滴も呑まないんですが、出来上がって羽目を外したときのはじけ飛びかたは凄かった。世間ではストイックな面だけが印象づけられていると思うんですが‥‥「スピルバーグの映画に音楽書きたかったなぁ」「もっと明るい音楽書きたいんだよ」とかいろいろ言ってましたね。

今度の《昼さんぽ》でお聴きいただく武満作品もそうですが、オーケストラ作品などでも晩年に近づくとふと調性のようなものが浮かんだり、明るさが漂っていたり‥‥

福田:そうですね、80年代の終わりぐらいから、ずいぶん本音で曲を書かれるようになったんじゃないかと思います。あれが、あの人の持っていた素顔なんだろうなぁとも思いますよ。‥‥いま、こういう[カウンターテナーとギターの]組み合わせで演ってる、って知ったら新曲を書いてくれたと思うなぁ。このあいだ、[フルートの]工藤重典さんとカナダのトロントで、武満さんの《海へ》[1981年/アルト・フルートとギターのための作品]を初めて録音してきたんですけど、ギターもフルートも、どういう音がこの楽器に合っているか‥‥という楽器法をすべて理解したうえで書いている作曲なので、やっぱり凄い曲だと思いました。やり甲斐のある曲でした。今回のコンサートでも《翼》[1982年]とか、鈴木大介君が編曲してくれた《波の盆》とか演りますけど。

《波の盆》はテレビドラマのための音楽ですが[1983年/実相寺昭雄監督、倉本聡脚本]、当時発売されたLPレコードで聴いて、とても感動したのを覚えています。

福田:僕はドラマを1983年のテレビ放送でダイレクトに観たねぇ。笠智衆主演のね。

武満さんのコンサート用のオーケストラ曲をご存知なくても、この曲が好きというかたも意外に多い作品なのではないかと思います。藤木さんにとっては、武満さんは‥‥

藤木:僕にとって武満さんという存在は〈小学校や中学校の授業でバッハなどと一緒に習った人物〉なんです。《ノヴェンバー・ステップス》は必ず教科書に載っていますし、音楽史の年表にある人でした。僕が演奏活動を始める前に亡くなられているので、福田さんのように個人的なおつきあいはもちろんありませんが、逆に言うと、福田さんのようなかたとご一緒させていただくとき、〈武満さんを知っていらっしゃる〉ということが僕にとって凄く大きくて。いろんなお話から作曲家の人物が見えてきて、その中で曲に接すると違う見え方がするんです。どうしても逢えない作曲家‥‥今回歌うなかでたとえばベッリーニとかなら、いろいろ調べて作曲家を知ってゆくわけですが、武満さんを演るときには、福田さんがリハーサルの中でもいろんなお話をして下さるのがとてもありがたくて。

それは本当に大きいですねぇ。

藤木:僕は〈歌〉しか演奏していないから、武満さんの曲は逆にとっつきやすい印象なんです。言葉がすごく近く感じられるし‥‥そもそも現代の言葉ですし、好きですね。今回は敢えて、これまで人前で歌ったことのない3曲を採り上げることにしました。

《SONGS(ソングス)》から3曲、《○と△の歌》《昨日のしみ》《翼》と、ステージ初披露というわけですね。

藤木:デュオのレパートリーを増やしていくためにも、共演するたびに新しい曲を入れて、関係性を深めていこうと思った上での選曲です。

福田:この武満さんの《SONGS》って幾つか合唱曲になってるでしょ?あれ、全部ギターでハーモニー取れるんですよ。全然問題ないの。凄いですよ。ハーモニーのセンスが鍵盤よりもギターのほうにあるみたいで、ギター用に編曲するのもそれほど苦労しなくて済むのが面白いですね。

そういった、ハーモニーの感覚などにも耳をひらいてみると、コンサートの時間もさらに豊かになるかと楽しみにしております。


没後50年、カステルヌオーヴォ=テデスコの魅力を

★DSC_3747(C)山野雄大.jpgコンサートの前半では、古典から20世紀までさまざまな〈イタリアの歌〉を演奏していただきます。

福田:さらにコンテンポラリー[同時代音楽]まで探すとまだまだたくさんの作品があるでしょうから、可能性はまだまだ広いと思いますね。

藤木:カッチーニとモンテヴェルディ、この二人の時代の音楽はまだ演る機会がありますし、[セゴビア編曲《フィッリデの悲しげな姿よ》を歌う]ベッリーニは学生時代によく歌っていたベル・カントの作曲家で歌曲も書いています。で、まったく知らないのが、今回初めて歌うカステルヌオーヴォ=テデスコ。《流浪のバラード》も5分くらいある曲なので、これにしっかり向き合って勉強するのが楽しみです。

今回は、この20世紀イタリアの作曲家、マリオ・カステルヌオーヴォ=テデスコ[1895~1968]の作品をふたつ演奏してくださいます。

福田:今年はカステルヌオーヴォ=テデスコが亡くなって50年にあたりますので、それもあって取り上げたかったんです。彼はアメリカに移住してハリウッドの映画音楽でも活躍した人です[1939年、ファシスト政権下のイタリアを離れてアメリカへ]。僕は4月にアメリカで1ヶ月近く公演するんですけど、そこでも彼の作品を演ってみたいなと思っています。

ハイフェッツに委嘱されたヴァイオリン協奏曲第2番《預言者たち》が有名な人ですが、ギターのための作品もとても素晴らしいですね。

福田:ギター作品がもの凄く多いんです。1日1曲書くようなペースで作曲したくらいのギター曲があって、こういう言い方しちゃ悪いんだけど、ものによっては書き飛ばしというか職人芸が勝ちすぎてる作品もあるけど、凄く気合いの入った作品もある。コンスタントに良いものを生み出し続けるというタイプではなくて、とにかく書き続けているなかで、良いものとの落差が大きいタイプですね。映画音楽の世界では、ヘンリー・マンシーニやジョン・ウィリアムズ、アンドレ・プレヴィンといった映画音楽作曲家たちはみんなカステルヌオーヴォ=テデスコの弟子といっていいですが、そういう影響を与えた師匠としての能力は凄かったみたいですね。

もともとセゴビアのためにギター協奏曲を書いて有名になった人でもありますが、ギター作品では〈ギター・ソナタ〉が広く弾かれていますし、ギターと朗読のための《プラテーロとわたし》も大人気作品ですね。

福田:ギターと歌のための作品もまだまだあるんですよ。《モーゼス・イブン・エズラの詩集》[1966年]とかも藤木君に言わなきゃいけない(笑)。


《流浪のバラード》《セゴビアの名によるトナディーリャ》

福田:彼の作品で、今回藤木君と演奏する《流浪のバラード》[1956年]は、古いイタリアの詩による作品ですね[詩人グイード・カヴァルカンティ(1255~1300)の作品による]

藤木さんはウィーン留学の前にボローニャへ留学されていたので、イタリアともお馴染みが深いでしょう。

藤木:留学していたこともありますし、ヨーロッパデビューがボローニャ歌劇場でした。イタリア語はよくわかりますから、言葉に対する親近感も持っていて。でも時代によって使われる言葉も違うでしょうから‥‥日本でも江戸から昭和まで考えれば全然違うわけで(笑)。

この《流浪のバラード》も、もとの詩は13世紀後半ですから、日本だと鎌倉時代ですもんね(笑)。そしてもう1曲、ギター独奏のための《セゴビアの名によるトナディーリャ》という作品も弾いていただきます。20世紀の大ギター奏者アンドレス・セゴビア[1893~1987]の名前、その綴りを音名に置き換えた音列を基に作曲されたものですね。

福田:そうです。

作曲の仕組みも面白いですね。楽譜の冒頭に2種類の音列と、そこから〈Andres Segovia〉にあわせて抽出された2種類の音列が印刷されています。

福田:まず、音階が低音から上へずらーっと並んでいて、そこにアルファベットを対応させる‥‥という音列があります。そこから〈アンドレス〉という音列と〈セゴビア〉という音列、それぞれ2つずつ4種類の音列ができまして、それを基に書かれている曲なんですね。これは、いわゆる十二音技法とかの音列技法とは全然違っていて、すごくロマンティックな音楽です。

皆様には、仕掛けはともかく音楽の美しさを楽しんでいただければと思います。

福田:これは《グリーティング・カード》というシリーズの中の1曲なんです[作品170-5]

いろいろな人に寄せて書かれている膨大な小品集ですね。

福田:僕の知り合いもいろいろ出てきまして(笑)、なかには僕の師匠のオスカー・ギリア[1938~/セゴビアの弟子にあたる]も出てきて、《オスカー・ギリアの名によるロマンス》という曲もある[作品170-37]。これはあんまりいい曲じゃなくて、名前が音楽的じゃないってことかな(笑)。セゴビアだとさすが、名前を音に換えるといい曲になる(笑)。


19世紀のギター、その不思議な魅力

★DSC_3770(C)山野雄大.jpgコンサート前半、〈イタリアの歌〉を幕開けるのは福田さんのギター独奏でフレスコバルディ《アリアと変奏》です。

福田:これはとても綺麗な曲で、古いセゴビアの編曲で知られたレパートリーですけれども、これは元のスタイルからセゴビアがガッとねじ曲げて書いちゃったんです。だから、たくさん半音間違えたヴァージョンで今でも演奏されている。フレスコバルディの時代には導音の考えかたが無かったので、〈ドレミファソラシド〉でいう〈シ〉にあたる音が、次の〈ド〉とのあいだで半音ではなく全音ひらいていたりする。それをセゴビアは「これは間違いだ」と現代の和音に換えてしまったので、間違ったヴァージョンが弾かれることになってしまった。それを全部是正したヴァージョンで演りたいな、と前から思っていたので、今回はいい機会だなと。

朝の11時開演でございますので、お客様にも爽やかなお目覚めの1曲としてフレスコバルディを楽しみにしていただいて‥‥(笑)

福田:そうだよね‥‥あぁ‥‥俺、朝よわいんだよ‥‥(笑)

藤木:僕は起きられれば大丈夫なので(笑)

今回のコンサートでは、福田さんが数々お持ちの銘器から、現代のギターだけでなく19世紀のギターも弾いてくださる予定、と伺っております。

福田:19世紀のギターで、ガエターノ・ガダニーニⅡ(1829)の楽器は、先日もバッハの〈無伴奏チェロ組曲〉全曲演奏会でも弾いてとても好評だったので、第一生命ホールでもお楽しみいただければ。現代の楽器よりも音が通るので。

その「現代の楽器よりも音が通る」というのは、なぜでしょう?

福田:なんでしょうねぇ。[楽器の木材が]枯れきって無駄な共鳴音がなくなっている、ということですかね。芯の音しか飛んでこないというか、不思議なんだけど古楽器は音が通りますね。このあいだライナー・キュッヒルさん[ウィーン・フィルの元コンサートマスター。福田進一さんとの共演でアルバム『デュオ・コンチェルタンテ』(R-Resonance/RRSC20002)を発表したばかり]も、隣で聴いてると古楽器のほうがよくきこえる、って言ってたなぁ。現代のギターは、ある意味で色彩が多すぎるのかも知れないですね。

多すぎる、と。

福田:楽器がいろんな色を出そうとする。そうすると、ちょっと焦点がなくなるということなのかな。ある方向に行きすぎてしまって、また戻ろうかという動きも現代のギターの世界にはあるんですよ。‥‥ギターはまだ完成していない楽器なので、世界中のギター製作家が、ああしよう、こうしよう、としている。古いギターに戻ろうか、とね。「もっと音量を大きくしたい」と言われるけれど、大きくするほど音は汚くなってゆく、ところが、人間って、汚い音は聴かないんですよ。綺麗な音なら、遠くで鳴っていても一生懸命聴こうとする。純粋に研ぎ澄まされた、残響のない綺麗なシェイプの音が飛んでくる‥‥そっちのほうに耳がいく、というのが現実ですね。

素人考えで恐縮なんですが、現代のギターも時が経ってゆくと木材も変化して古びてゆく、別の可能性が生まれてくる、ということはあるんでしょうか。

福田:そうですね。ところが、現代の元から大きな音が出る楽器というのは、もたないんですよ、そんなに。

ああ‥‥

福田:むりやり振動させてゆくから非常に寿命が短いですね。呆れるほど短い。‥‥楽器って、だいたい生きてるサイクル内に収まるように出来てるんですよ。本来は、1本良いものを買えば一生それでいけるはずなんですけど、そうはならない。上手にメンテナンスすると長持ちはするんですけど、特に今新しく出てきている楽器はそうじゃない。

古楽器だと長持ちするわけですね。

福田:昔の楽器は、左甚五郎みたいな名工が創ったものだと、木が割れそうになってくると楽器のほうから自然にぱかっと外れてくれた。それを繋ぎ直すとまた使えるようになる、という風になっていたんです。ところが今は、接着剤なども有機物でないものを使ったりするので、「壊れたら新しいのを買えばいいじゃない」という発想になっているんですね。

凄いお話ですね。

福田:面白い話でしょ、つきあいきれんけどね(笑)。僕は古い楽器を使い始めたパイオニアに近いのですが、30年くらい前は誰も見向きもしない、捨てられた楽器でした。‥‥やるって言い出したレイフ・クリステンセン[1950~88]っていう凄い偉い人がデンマークにいたんですけど、僕と同世代なのに若くして交通事故で亡くなっちゃった。彼がやろうとしていたことは、古いことを扱うけれど凄く新しいことだった。彼がいなくなって、そのあとに出てきたというわけです。


〈声〉という楽器

藤木:いま福田さんのお話を伺っていて、声楽もまったく一緒だな、と感じたところが何点かありました。僕も演奏活動をしていて、お客さんが凄く集中している時って、いちばん小さな音を出している時なんです。そのときに本当に空間が‥‥空気が変わって、集中力がこちらに向かってくる。小さい音を出すにはもの凄く真剣なコントロールが必要なんですけど、それを演っているときに一番、来る。そして〈声〉という楽器も、大きい音を出そうと思って身体を無理して押してしまうと、それは人に届かないし、色も減ってしまう。ちょっと長いスパンでみると、それはどこかで無理している声だから、長持ちもしない。そういう声を出している楽器、歌手としての寿命って、一時的に凄く大きくて良い声が出たとしても、必ずしも長くなかったりするんですよ。そこが、〈声〉という楽器とギターが似ていると思ったところですね。

なるほど‥‥

藤木:以前、シューベルトを一緒に演ったときに、福田さんがシューベルト時代の楽器を持って来て下さったんですが、ちょっと乾いているけれどもの凄く繊細な音、だったんです。シューベルトはこういう音色が鳴っていた時代にこの曲を書いたのだろう‥‥という親近感が生まれましたし、音楽史のなかでその出来事が生まれた時に近い感覚、があるんですよね。それは、ピアノという新しい楽器よりも、ギターという楽器に感じることが大きいですし、〈オリジナルに近い演奏〉を心がけるときにとても大きい。

福田:僕はフランスのラコート(1840年頃)という楽器もガット弦を張って使っているんだけど、その楽器で、小林道夫先生の弾かれるタイヒマンというフォルテピアノと一緒にデュオを録音したことがあるんです[『19世紀ギターと鍵盤楽器のための作品集』アイオロス ACCD-S107]。すると、録音を聴いたら、どっちの音か分からないんですよ。音色がものすごく近いの。中域の音はほとんど同じと言っていいくらいで、「あれ、今の音を弾いたのは俺だっけ‥‥」「いや先生、あれ僕の音ですよ」みたいに二人でどっちの音かで言い合いをしていた(笑)。そのくらい融け合うんです。

現代楽器では無い融合ですね‥‥

福田:また、当時の楽器が持っていた音感、製作家や聴衆が持っていた音感が今よりもずいぶん低くて共鳴の具合も違うんですよ。今、我々は高い周波数のなかで金属的な音に囲まれて生きているけれど、そういうことのなかった昔の、木と石の世界、有機物の空間に生きているという感じが古い楽器にはするんですよね。‥‥そして〈声〉は凄く有機的なものだから、最も原初的なものがあるのかな、と思いますし。

その有機的な〈声とギター〉の美しい融合、楽しみにしております!