「音楽のある週末」6月に出演するのは、イスラエル出身のチェリスト、ガブリエル・リプキン。無伴奏プロジェクト「シングル・ヴォイス・ポリフォニー」を日本で披露します。
バッハの組曲は、チェロの「聖書」のようなもの
今回のプログラムについて伺えますか。
「シングル・ヴォイス・ポリフォニー」では、必ずバッハの無伴奏組曲から1曲演奏します。バッハの組曲は、チェロの「聖書」のようなものですから。私は、バッハと近現代の曲と比較することを、スーパーインポーズ(重ね合わす)と呼んでいます。こう想像してみてください。たとえば、これがバッハの組曲として(と言いながらペットボトルをテーブルに置き)、まずバッハを弾く。そしてリゲティや民俗音楽、ブロッホなどの作品を(と、ペットボトルのまわりに別のペットボトルを置いていきながら)いろいろと弾いていく。まるで美しい大きな教会を建てていくようなものなのです。そしてそこをゆっくり歩いてめぐり終えると、バッハへの理解が深まっているというわけです。逆に現代の曲への理解も深まる。多すぎる情報が氾濫する現代に生きる私たちに、音楽の新しい見方を示してくれます。
バッハは、いわば、本質であり真実を見る客観性を持っている。それに対して、近現代の音楽は、主観的です。
バッハに対比させて、技術的に極端な珍しい曲、私が「ミニアチュール」と呼んでいる小品を演奏したいと思っています。私自身が編曲したカサドでは、全く異なる弓のテクニック、タイプの違うヴィブラート、別のポジションでの演奏など技術的に新しい挑戦をしています。こういったテクニックは、徐々にバッハを弾く時にも使うようになりました。演奏する時は、私が持ちうる限りのあらゆるテクニックを使います。私はオーセンティックな知識は用いますが、オーセンティックな奏法はしません。バッハ自身も情熱的で革新的な人でしたし、使えるテクニックは使うべきだと思います。
バッハの「無伴奏チェロ組曲」を弾いてみました
それが私の人生の転機でした
バッハは聖書のようなものとおっしゃいましたが、バッハとの出会いは?
もともとピアノのレッスンを受けていた姉が、やめたいと言い出して、支払い済みの授業料がもったいないということで(笑)、私がピアノのレッスンに行くことになりました。すぐに耳で覚えて弾けたし、他の子どもと違って没頭してしまうので、先生は喜んだのですが、何回目かのレッスンの時、となりの部屋から聴こえてくるチェロにひきつけられてしまいました。ピアノの先生は悲しそうに、チェロの先生の部屋に連れて行ってくれましたよ(笑)。それが6歳の時です。両親は音楽家ではありませんでしたが、父の若くして亡くなった妹がチェロを弾いていたので、なぜか、私の部屋にバッハの「無伴奏チェロ組曲」の楽譜がずっと置いてあり、両親がそれを見せてくれたのです。自分でページをめくって第1番のプレリュードを、ひとつひとつ弾いてみました。開放弦(ソ)、開放弦(レ)、1の指(シ)...、という感じで、たったひとりで勉強していきました。ある時弾いたら、先生がびっくりしてね。その頃私が弾いていたのは、「ぞうのダンス」とか「ゆかいな蚊」というような子供用の曲でしたから。それが私の人生の転機でした。チェロを弾き始めて2か月で、この第1番のプレリュードを弾いたのです。
ソロを演奏するのは、協奏曲や室内楽で演奏するのとは違いますか。
オーケストラと共演する時には、予測すべき相互作用や共演のために歩み寄らなければならないこともたくさんあります。ソロを演奏する時は、全く別で、ただチェロとともに座って、そこに弓だけがあり...。想像してください。弓を持つ手を上げ、弦の上に置いて、音を奏で始める...すべてが自分ひとりで決められます。他に影響するものはありません。ソロは全く違う音楽です。無伴奏プログラムでは、ひとりで何かできるかをお見せしたいと思います。
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理論、テクニック、情熱、すべてを合わせ持ったチェリストの創りだす、「シングル・ヴォイス・ポリフォニー」の世界をたっぷりと楽しんでいただければと思います。
[聞き手/文 田中玲子]