1980年より開催している「八月のまつり」は、今年で34回目を数えます。指揮者として、またピアニストとしてご出演いただく寺嶋陸也さんからメッセージが届きました。
《原爆小景》は、日本の合唱作品、というのみならず、現代音楽史上特筆されるべき作品だと思います。第一には、そのメッセージ性において、原爆による惨禍を扱いつつ、純然たる芸術作品として高い密度をもった作品であること。第ニに、日本語をどのように歌うか、という問題とも正面から向き合っていること。この第ニの点は、この曲の魅力としては見過ごされてしまいがちですが、とくに真ん中の2つの楽章では、ノーノ(1924-1990イタリアの作曲家)やルトスワフスキ(1913-1994ポーランドの作曲家)などヨーロッパの合唱曲の影響も受けつつ、言葉を音響の素材としつつも、解体するのではなく意味をきちんと伝える役割も残すことに成功した、極めてまれな作品です。その結果、言葉と声の迫力の両方が一体となって、聴くものに強いメッセージを伝えます。
《ふるさとの風に》は、23歳で戦死した竹内浩三の詩による合唱組曲です。7曲のうち6曲までは、直接に戦争を扱ったものではなく、若者のみずみずしい感性が捉えた太平洋戦争前夜から戦中にかけての社会や、個人の悩みを歌ったもので、あとから作曲した終曲《骨のうたう》は、自分がたどることとなった兵士の運命についての歌です。《原爆小景》とは、作曲の手法が全く違う曲ですが、私なりに、林光さんの思想を受け継ぎたいと思っていることの証として、今回プログラムに入れさせていただきました。
林光さんが亡くなったあとで出版された「現代作曲家探訪記」という本の最後の章は、「冬の時代の過ごしかた」というもので、その中に、山田夏精の《もう直き春になるだらう》のことが書かれています。もちろんここでの「冬の時代」というのは第二次世界大戦の時代のことですが、いま、日本にいる私たちはいろいろな意味で冬の時代を迎えている、と思っています。この曲は以前もいちど「八月のまつり」で演奏していますが、光さんが好きだったこの曲に加えて春を待つ歌を3つ並べました。鈴木敏史(としちか)さんの詩による自作の2つの曲は、生命の讃歌と、新しい時代の到来を期待する歌です。それに、福島県民謡の《会津磐梯山》と、光さん作詞作曲の、音楽への讃歌であり、新しい音楽に新しいメッセージを託す、という内容の《音の虹》(その合唱版は未完だったので、私が補作しました)を加え、一貫したメッセージ性は保ちながら、歌曲、童謡、ソング、民謡とさまざまなスタイルの曲によって、合唱の楽しさと日本語の表現の豊かなヴァラエティを楽しんでいただきたい、というのが、後半の「歌の小箱」です。
高校生のときに第1回を聴いて以来、欠かさず「八月のまつり」は聴いていて、後には出演させていただくようになりました。ですから、この演奏会には特別な思いがあります。《原爆小景》は、これからの時代にはますます演奏され続けなくてはいけない作品だと思いますし、毎年八月に、命の尊さについて強いメッセージを送り続けていくことはとても大切なことだと思います。
[寺嶋陸也/指揮・ピアノ]