《昼の音楽さんぽ》へようこそおいでくださいました。お昼のひととき、木のホールに響く美麗な音楽と愉しいお話と‥‥音楽の森を散歩しながら、心ゆたかにお過ごしください!
本日ご登場いただくのは、美声とチャーミングな笑顔、そしてドラマティックな表現力で人気ますます上昇中のソプラノ歌手、小林沙羅さんです。どんな優れた楽器も理想として目指すのは〈声〉といわれるほど、歌の表現力の豊かさ・奥深さは汲んでも尽きぬほど。今日はその魅力を存分に味わっていただきます。ドイツに育ち、かの地はもちろんイタリアでも学ぶ小林さん──歌と言葉を深く知る人ならではの絶妙な選曲、最後までたっぷりご堪能ください。
シューマン:おお紳士の皆様 まずは素敵なご挨拶。歌詞をお読みいただきますと、美しく歌うナイチンゲール(夜鳴きうぐいす)が皆さまに呼びかけるこの曲、始まりにふさわしい洒落た選曲とお察しいただけましょう!ロベルト・シューマン(1810~56)が、愛妻クララと共作した歌曲集〈リュッケルトの《愛の春》より12の詩〉作品37(1841年作曲)の第3曲です。詩人フリードリヒ・リュッケルト(1788~1866)の作品にはシューベルトなど多くの作曲家が作曲しています。
シューマン:ズライカの歌 シューマンが結婚式の前日、愛するクララに贈った歌曲集《ミルテの花》作品25(1840年)から第9曲です。ミルテ(和名〈銀梅花〉)とは、花嫁のベールに純潔の象徴としてつけられる純白の花。シューマンはこの曲を文豪ゲーテ(1749~1832)の詩だと信じて作曲したのですが(ズライカとはゲーテの詩に登場する恋人の、東方風の呼び名なのです)、実はゲーテが晩年に恋したマリアンネ・フォン・ヴィレマー(1784~1860)の作品だとか。
シューマン:ことづて なかなか逢えない恋人へ心あふれて‥‥鳩や月まで急かしてみせるこの曲、〈リートと歌 第3集〉作品77から第5曲(1850年)は、クリスチャン・レグリュ(生没年不詳)の詩による隠れた名作。詩と音楽を深く融けあわせたシューマンの卓抜、3曲で深く伝わることかと。
R. シュトラウス:万霊節 オペラの巨匠リヒャルト・シュトラウス(1864~1949)は天才的な歌曲も数多く残しています。オーストリアの詩人ヘルマン・フォン・ギルム(1812~1864)の詩によるこの作品(〈8つの歌曲〉作品10より第8曲/1882~83年)、今は亡き恋人への想い‥‥苦悩と愛とがほとばしる絶品です(〈万霊節〉は死者の魂に祈りを捧げる日)。
R. シュトラウス:ツェチーリエ この情熱的な愛情表現!〈4つの歌曲〉作品27より第2曲(1894年)は、ハインリヒ・ハールト(1855~1906)の詩による傑作です。ちなみに、作曲家がこの曲を書いた年に結婚した愛妻パウリーネもソプラノ歌手でした。
山田耕筰:からたちの花 春先に白い花を咲かせるカラタチ(ミカン科)。詩人・北原白秋(1885~1942)が故郷・福岡県柳川の風景を想い書いた詩に、作曲家・山田耕筰(1886~1965)も自らの幼時を重ねて作曲しました(1925年)。詩にメロディの抑揚も合わせながら拍子を自在に行き来し、歌詞に合わせて微妙に音の一部を変えてゆくのも見事‥‥。
本居長世:白月 《七つの子》や《赤い靴》などせつない童謡を残した本居長世(1885~1945)、自身も淋しい幼年時代をおくったとも伝えられていますが、三木露風(1889~1964)の詩によるこの《白月》(1921年)でも、白々と照る秋の月あかり、想いは広がり‥‥
中村裕美:「智恵子抄」より「或る夜のこころ」 小林沙羅さんは詩と音楽のコラボレーション集団〈ヴォイススペース〉で日本の詩による新作を世におくっています。中村裕美さんはそのグループで活動を共にする作曲家でピアニスト。高村光太郎(1883~1956)の名詩集『智恵子抄』から作曲された、昨年秋に初演されたばかりの新曲です。
伊藤康英:あんこまパン 歌曲やオペラ、吹奏楽など広く活躍する作曲家・伊藤康英さんが書いたこの曲、第1楽章《信じてくれないだろうなぁ、》、第2楽章《〔材料〕》、第3楽章《サンドイッチ用のパンに》という各曲のタイトルから笑ってしまいますけれど、作家・林望さんの考案した〈あんこまパン〉のレシピを記したエッセイ(『音の晩餐』[集英社文庫])をそのまま歌曲にしてしまった前代未聞の名作。いやはや凄いですね‥‥
ベッリーニ:優雅な月よ 本日はドイツ・日本・イタリア‥‥とそれぞれ〈月〉の歌が配されていますが、《夢遊病の女》《清教徒》など名オペラを生んだヴィンチェンツォ・ベッリーニ(1801~35)の有名なこの歌(作詞者不明)でも、月の光は熱い愛を照らしています。
トスティ:薔薇 色褪せた薔薇の花、愛の記憶‥‥フランチェスコ・パオロ・トスティ(1846~1916)は、オペラの国にあって歌曲で成功を収めたひと。甘やかなメロディと豊かな抒情あふれるその魅力は、ロッコ・エマヌエーレ・パリアーラ(1856~1914)作詞によるこの《薔薇》(1885年)からも薫りたつでしょう。
マスカーニ:月 月は花のように美しい少女の心‥‥ピエトロ・マスカーニ(1863~1945)は、オペラ《カヴァレリア・ルスティカーナ》で大成功。《月》はこのオペラの台本を共作した詩人グィド・メナッシ(1867~1925)の詩による歌曲です(1912年)。
ドニゼッティ:歌劇≪連隊の娘≫より「さようなら」 ガエターノ・ドニゼッティ(1797~1848)は、生涯に67ものオペラを書いた人気作曲家。まずはスイスはチロル地方を舞台にした《連隊の娘》(1839年)のアリアを。赤ん坊の頃に戦場で拾われ、連隊で育てられた美しいマリー、今は酒保の人気娘である彼女はスイスの若者トニオと恋仲になりますが、ゆえあって離れ離れに‥‥。彼女が皆に別れを告げる第1幕のアリアです。
ドニゼッティ:歌劇≪ドン・パスクアーレ≫より「騎士はあの眼差しを」 最後は《ドン・パスクアーレ》(1843年)のアリアを。お金持ちの独身老人ドン・パスクアーレは、甥エルネストが若い後家さん・ノリーナと結婚しようとしているのに不服。財産は彼に譲らず自分で結婚して相続人をつくる!と言い出すのですが、ノリーナはひと芝居うって老人といったん結婚。すぐに贅沢三昧に浮気(エルネストと!)にと老人を憤慨させた結果、彼女はエルネストとめでたく結婚、財産までいただいて‥‥。このアリアは、策略を始める前のノリーナが、騎士道物語の本を読みながら、流し目に恋の手練手管‥‥私もその効き目も力もよく知ってるわ!と歌うアリア。美人で賢くしたたかな彼女の恋愛観と性格を見事に表現するあたり、オペラ歌手・小林沙羅さんの真骨頂を存分にお楽しみいただけるはず!
(ご案内/音楽ライター 山野雄大)